UNISON HAWAII |
自分への愛をすすめる会会報 |
2002年8月20日 |
NO.11 VOL.1 |
お元気ですか? 日本は台風がまた来ていたとか聞いてますが、かなりコースはそれていたようですね。大丈夫でしたか? こちら、ホノルル方面は、私が健康になったせいかもしれませんが、やたらと暑さが気になる夏となっています。例年のことですが、夏は湿気もすごくて、蒸し暑いと文句ばかり出てしまいます。
さて、今日は、自愛学トークのお話ではなく、今さっきあった気づきについてお話をさせてもらいます。
会員のCさんから日本語版の本「ライフヒーリング」ルイーズ・ヘイ著を貸していただいていて、かつて、後半の方しか私は本当には読んだことなかったんですよ。そこに「問題を求める気持ちを手放す」という話があり、「頭痛、便秘、肥満、貧困・・・」等を求める気持ちを手放さないかぎり、何も変らないと書いてありました。そして、「私は・・・を求める気持ちを手放したい」と鏡に向って言ってくださいとあり、私も「便秘を求める気持ちを手放したい」と繰り返し言ってみました。すると、どこか、鏡の中の私の目が死んでる。どっかに抵抗している自分がいるみたいだったんです。なんかあるのよね、きっとと思いながら、居間へ行って長椅子にひっくり返りながら、また本を開いてみました。一つずつその「手放したい」をやっていくと次のものが出てくるというようなお話だったんです。ひょっとすると私の場合、その便秘だけではなく、「体が具合悪くなる」をどこかで求めているのではとふと思ったんです。やっぱり、「年を取ると具合が悪くなる」なんて話が頭に入っているからかなぁとか、考えていると、はっと気づいたんです。私は子供の時、すごく健康で、小中学校通して休んだことがない子供でした。病気しても週末で週明けには見事に治ってましたし。どこかに人並みに病気になってみたいと思ってたんじゃあ、と思ったんです。「馬鹿は風邪引かない」とか、結構つまらない話とかもありましたしね。どこかで、私は健康すぎることを恥じていたのかもしれないと思いました。そして、もうひとつは、健康とは言っても具合悪いと感じる時は確かに何度かあったんです。でも、うちの母親は熱がない限り、学校に行かせる親だったんですよね。それで、熱を本当に出さない子供だったので、休みたくても休めなかった。どこかに、「休むためには病気じゃなきゃいけない」っていう思い込みが子供の頭にあったような気がします。それは大人になってからも同じで、会社休むには病気じゃなきゃいけないっていうのにもつながっている気がします。そして、よく考えてみると、大人になって一人で自由にハワイで住んでいる私ですが、やはり、休むのには大義名分が欲しいと今でも思っている私がいるのかもしれないということでした。
「休む」と考えた時、社会人の大人の私達は、どこか、「なまけてる」とかよいイメージを持っていませんよね。これは私も同様で、休むということを罪悪感なくできるようになるには時間がかかりましたし、100%ないとは今でも言えないと思います。このことは常々不思議に思ってもいました。ご存知の方も多いと思いますが、私がハワイ来た当初3ヶ月の「冬眠」をした時も、始めの一月で気持ちがとても落ち込みました。母親の声が耳に聞こえて。「あんたそんなことしてていいの?」って。これは、日本の人にとって、ほとんど逃れられないものじゃないかと思います。勤勉が美徳の国ですから。そこへ持ってきて、私の場合、熱はなかったにせよ、エネルギーが落ちて休みたいと思う時に、病気ではないと判断され、学校に行かされた私でしたから、「病気」と言うのは水戸黄門の印篭みたいなものだったかもしれません。ものすごい憧れに近いものだったのかもしれないと、今しみじみ思いました。大人になった私は、不摂生もたたり、よく具合悪くなりました。晴れて(笑)休むことができるようになったわけです。それが、今でも続いていると言うことかもしれません。
先日、掲示板の方にも書きましたが、いらない物にさよなら宣言しようって言う話でしたが、この「・・・を求める気持ちを手放したい」と言うのは、とてもいいさよなら宣言になると思いました。さっそく、「私は病気を求める気持ちを手放したい」と何度も声に出して言ってみました。すると、腰の関節炎からきている足先の痺れが、心持ち軽くなった気がしました。
そうそう、頭痛にさよなら宣言して3週間近く、ずっと大丈夫だったんですが、なんと昨日の夜来てしまいました。その頭痛に対し、今までやって効いたことを全部したんですが。腕のグルグルから、「頭痛はもういりません」宣言から、罪悪感を払拭するために、「私はこれでいい」も言ってみたんですが、その前にあったことを自分が責めているんだろうなということがあったので、そのことを考え、そこにかかわった人の顔を思い出して、「ごめんなさい。」ととりあえずその方々に謝り、「でも、それが起きたと言うことは、私はなぜかこれをすることになっていたのも確かです。だから、私はこれでよかったんです。」って言い始めると、かなり頭痛が引いていきました。オマケでひとつの気づきももらいました。頭痛がしてくれてることというのは、「自分をまた責めてるよ」って言うサインをしてるってことだなって。お陰で今朝は、頭痛は消えてました。
そして、このルイーズのテクニックに今日出会い、もうすべての体調の不具合に対して、求める気持ちを手放したい、と宣言を始められ、健康だった、さっちゃんに「健康ってすばらしいことなんだよ。さっちゃんはちゃんといい頭を持っているんだよ。それに、今、ママは一生懸命、病気じゃなくても休むことができるように努力してるからね。休みたかったら、病気なんてなる必要ないよ。」って思い込んでしまったさっちゃんに話をしていました。確かに体の中、心の中に何かエネルギーがみなぎってくる気がしました。
ちょっと余談ですが、子供性と話をすると言うこととして、付け加えさせてもらいます。人は、ばかな人、だめな人、そんな人は、この地球上、宇宙上にはいません。だから、自分のことをちゃんと受けとめて、ほめてあげてください。それこそが、自分の子供性が待ち望んでることです。誰かより上とか下とか言うことは、本当に意味のないことです。人は、数え切れない質を持っています。そのひとつずつを比べることはできるのかもしれない。でも得意なもの、不得意なものが全部合わさった時にできる、すばらしい彩が、その人のアイデンティーなんだと思います。それは、どうさがしても二人といないというその人の価値であり、美しさであり、生きている存在理由だと思います。だから、みなさんも自分の子供性を思いっきりほめてあげてくださいね。
話ずれてしまいましたが、この「私は・・・を求める気持ちを手放したい」をお試しになりませんか? 鏡に向って言うと効果があるそうです。
24回と25回の自愛学の模様は、また改めて!
LOVE
さちこ
|