UNISON HAWAII

自分への愛をすすめる会会報  

2004年7月16日

NO.2 VOL.2

 

お元気ですか? 今日のハワイはうすいブルーの青空の広がり、風もすずやかに吹き、本当に過ごしやすい日です。日本も夏本番のようですね。それでは、自愛学講座 Class 2 をお届けします。

 

自愛学講座

Class 2

 

子供性と大人性

 

幸せになるという根源が「あ〜、これでよかったんだ、私は。」という所にあるということが分かれば、自分で自分を認めて、「これでいいんだよ。」「よくやったね。」と言ってあげればいいわけです。こういう事をすることを私達は教えられていません。むしろ恥ずべき行為のように思わされてきました。時が移り行くというというのは、人の生き方が変ると言うことだと思います。だから新しい時代は過去の生き方の逆さまであることがたくさんあります。この自分を認め、愛すという考え一つ取っても、ほとんど、「うぬぼれ」とか「自画自賛」という風に捉えられ、できた人のやることじゃないと思われてきました。(このうぬぼれについてはまたの機会にお話します。)

 

自分をほめてあげて、認めて「これでいいんだよ。」「よくやったね。」と言ったからと言って、どうなるんだ?と思う方もいると思います。これは自分でまずやってみないとその効力は分からないかもしれません。恥ずかしいし、ばかばかしいと思うかもしれませんね。でも、私達の心の奥深くに埋もれている子供性は、その言葉を渇望して、何年も待ってきました。子供性と言うことを出してこなくても、人はほめられれば、よほど心が屈折してない限り、うれしくなりますよね?  それは他人からしてもらわなくても、自分が自分にしてあげることができるんです。それも本当は、自分が自分に認めてほしがっているというのが、真実のようです。

 

自分の中の大人性(親)に子供性は「これでいいんだよ。」「よくやったね。」と言ってもらいたくて仕方がないんです。まるで、子供の時に親からそうしてもらいたかったように。子供は常に親の注意を引き付けたいものです。自分の中の子供性も同じです。その子供性に向って「今までよく頑張ったね。えらかった。」と言ってみてください。ずっと、おそらく無視されてきた子供性は、「親」の注意を得たことで驚き喜ぶと思います。ハートのあたりにホワッと暖かい感覚が出たりしませんか?  どこか安堵感のようなものを感じませんか?  それが子供性です。それを少し味わったなら、一日一回でも話しかけてあげてください。自分があたかも子供を育てているように。「元気?  今日は一日ご苦労様。」「お掃除してえらかったね。」とか。その子供をほめてあげるという形で、自分の何でもないと思っていることをほめてあげてください。一日一回,2ヶ月くらい続けてみてください。何かが変ると私は信じています。どんな変化が起きたか、よかったらお知らせください。子供性の話も今度またしたいと思います。

 

自分への愛と幸せ度は比例関係

 

どうして自分を受け入れ、認め、愛した時、自分がとてつもない至福感に包まれるのか?  これは私の考えですが、毎瞬の自分を受け入れ認めることが、私達の地球でのレッスンだからだと思うんです。地球では人は、使命/レッスンを全うすると、まるで、ごほうびをもらうように幸せになれるようです。そして、どれだけ自分を認めることができるかが、直接自分の幸せ度に比例されているように思います。それに上記の通り、自分に「これでいいよ」と言ってあげることで、子供性の部分がうれしくなるというのが直接原因と言えます。(子供性というのは、幸せで元気だと、大人性にエネルギーをくれます。人としてのエネルギー源はこの子供性にあると言えるのではと私は思うほどです。)そして、自分を受けとめ愛したなら、自分を映す現実は、全部その愛が反映されるわけです。だからこそ、幸せ度は上がります。

 

では私達のレッスンである「毎瞬の自分を受け入れ認める」方法とはどういうことでしょうか。私達の毎日の現実は私達そのものです。現実というのは私達の内面の鏡であると言われていますよね。正に、そのままです。見たものがイヤであったら、見たものに手を下しても、自分の内側にあるそれを「写した」元をどうにかしなければ、また現実という鏡に写るだけです。受けとめるキーは、「なぜ?」と理由を問わずに両手を広げ、「理由は分からないけど、目の前にあることをとりあえず受け取ろう。」と、そのまま受け取ることです。(でも、自分の中に、そのいやな現実の元を持っている自分が悪いんだと言って責める必要はありません。というより、責めてはいけません。それこそが一番自分を受け入れない、愛さない行為です。)

 

無意識に意図した現実は何を私達に学ばせるのか?  それは時に、その現実が「楽しかった。」「うれしくなかった。」「よかった。」「いやだった。」をただ知るためだということがあります。「楽しかった」ことはもっとやる。「うれしくなかった」ことはもうやらない。そんな単純な学びもあります。でもそういうものこそが大切なレッスンなんだと思います。

 

そして、もう一点、「愛」と「好き」ということは同じではないということもあります。愛は開くこと、そして受け入れること。好きでも嫌いでも、両手を開いて、受けとることです。だから、自分が嫌いな自分の部分を「好きじゃないけど、これも私なんだ。」と受けとることが愛です。どうしてこういう部分を持っているか、はっきりとした理由は分からないのが常ですが、正し、それを嫌だと抵抗しているうちは、その理由は永遠に謎だと思います。嫌だけど、受け取るをした時に、世界が変ります。違った物が見えてきます。大抵の場合、そういう「嫌なもの」は、それがあるがために何か学ぶようになっているが答えと言えます。

 

どうかご質問、ご感想をお寄せください。自分の頭の中では理解している内容なだけに、言葉が足りない、明白でないところがあることもあると思います。その辺をお知らせ願えれば、より分かりやすい文章にしていくことができます。どうか、ご協力をお願いします。

 

LOVE & ALOHA!

 

さちこ

 

 

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